20歳の自分に受けさせたい文章講義
何度も繰り返し読みたい。手許に置いておいて絶対のに損がない良本です。
はじめに「話せるのにかけない!」のはなぜか?
・日常会話では表情や声にのせていた”感情”を、どうやって言葉に落としこむのか?
・”書く技術”を身につけることは、そのまま”考える技術”を身につけることに繋がるからである。
・”書く技術”が身につけば、ものの見方が変わる。物事の考え方が変わる。そしてきっと、世界を見る目も変わってくる。
ガイダンス その気持を翻訳しよう
・人は解を得るために書くのだし、解がわからないから書くのだ。
・わからないことがあったら、書こう。自分の言葉に”翻訳”しよう。そうすればきっと、自分なりの解が見つかるはずだ。
・「考えるために書きなさい」と。
・書くことは考えることであり、「書く力」を身につけることは「考える力」を身につけることなのだ。”書く”というアウトプットの作業は、思考のメソッドなのである。
・ぜひ「書こうとするな、翻訳せよ」の原則を胸に、ホンモノの文章力を手に入れていただきたい。そうすれば10年後・20年後、あなたはいまの自分に感謝するはずである。
第1講 文章は「リズム」で決まる
・文がおかしいのではなく、文と文の「つなげ方」や「展開の仕方」がおかしいとき、その主張は支離滅裂になり、リズムよく読めなくなるのだ。
・文章のリズムを決めるのは、点や丸ではない。韻を踏むことでも5・7調に揃えることでもない。センテンスの切り方でなければ、改行のタイミングでもない。文章のリズムは、「論理展開」によって決まるのである。
・たぶん、支離滅裂な文章を書く人は、自分でも論理の破綻に薄々感づいているはずだ。なにかしっくりこない感じ、うまく言えていないモヤモヤした感じを抱きながらも、早く結論にたどり着きたくて、早く書くのを終わらせたくて、つい強引なロジックに頼ってしまう。文章に対する堪え性がない、ともいえるだろう。
・論理破綻に気づくためのキーワードは「接続詞」
・断言しよう。みんなもっと接続詞を使うべきだ。
・そこに接続詞が入るかチェックせよ
・もし本当に楽曲を聴いて欲しいのなら、まずは土台となるリズムを固めよう
・画数の多い感じを多用するほど、文章の「見た目」は黒に近づく。見た目の黒さ、ごちゃごちゃ感は、そのまま圧迫感につながる。
・漢字は、文字そのものが意味を表す「表意文字」であり、パッと見た瞬間になにが書かれているかを把握できる。
・漢字そのものが太字で書かれたキーワードのような役割を果たしているわけだ。
・視覚的なリズムを損なうもの、それは圧迫感である。スカスカではいけないが、文字を詰め込みすぎてもいけない。
そこで句読点によって「文字間=縦」の圧迫感を解消し、改行では「行間=横」の圧迫感を解消する。そして漢字と平仮名のバランスを整えることで「字面そのもの」が持つ圧迫感を解消するのだ。
・聴覚的リズム
①読点「、」の位置を確認する
音読は、ダラダラとした文章を書いてしまう自分に客観性を持たせる助けになる。
②言葉の重複を確認する。
同じ言葉が何度も重なると、文章のリズムは途端に悪くなる。
わかりやすいところで言うと、「~である。」と締めた文のあとに、また「~である。」とくるのはリズムが悪い。「~である。」と締めたあとの文では「~だ。」など、別の語尾で締めるべきだろう。
これは語尾だけでなく、「そして」で始まった文のあとに、再度「そして」で始まる文を入れたりするのも避けるべきである。
また、たとえ連続していなくても「そして〇〇だ。しかし☓☓である。そして△△だ。」と、同じ接続詞が近すぎる場所に出てくるのも禁物である。せめて3段落くらいは間を置きたいものだ。
・ひらがなの場合、どうしても前後の漢字に目を奪われて流すように読んでしまうところがあり、重複に気づきにくくなるのだ。
・よく見かけるのが「とても」「非常に」「かなり」など、副詞の重複である。
→まずは書いてみて、書き終えたあとに音読をする。
・文章にリズムをもたせるには、もう一つシンプルな方法がある。→断言。言い切ってしまうことだ。
断定の言葉にはそれ自体に勢いがあるし、切れ味がある。
・断定する箇所の前後を、しっかりとした論理で固める。特に前後2~3行は細心の注意を払う。
・自信があるから断定するのではなく、自信を持つために断定する。
逃げも保険も打たず、力強く断定すると、それだけで言葉に説得力が出る。
言葉に説得力があると、周囲の人たちは信頼してくれる。
周囲からの信頼を実感できると、自信が湧いてくる。
自信がるから断定するのか、断定するから自信が湧くのか、どちらが先なのかは大きな問題ではない。
読者は説得力のある言葉を求めており、言葉の説得力は「断定というリスク」を冒してこそ生まれるのだ。
第2講 構成は「眼」で考える
・起承転結でいう”結”にあたる1枚のイメージ(映像)が先にあって、そこから逆算するように”起承転”の3枚を思い描く。そして4枚のイメージを4コママンガのように見立てて、全体のストーリーを肉付けしていく、というのだ。
・文章の構成に悩んだとき、北野監督のように4コマ漫画をイメージして論を組み立てる手法は、試してみる価値がありそうだ。
・読者はいつも「読まない」という最強のカードを手に、文章と対峙しているのである。
となれば、導入の目的は1つしかないだろう。
読者を劇場へと誘導し、まずは”椅子”に座ってもらうことだ。本編の上映は、その後の話である。
①インパクト優先型
あえて冒頭に読者が「おっ?」と興味を惹くような結論を持ってきて、そこからカメラをロングショットに切り替えるのだ。
②寸止め型
核心部分は観客に想像させる。
・論理展開のマトリョーシカ
ここでの「論」とは”主張”のことだと考えればいい。
そして「理」とは”理由”と考える。
つまり、自らの主張がたしかな理由によって裏打ちされたとき、その文章は「論理的」だと言えるのだ。
①大マトリョーシカ 主張・・・その文章を通じて訴えたい主張
②中マトリョーシカ 理由・・・主張を訴える理由
③小マトリョーシカ 事実・・・理由を補強する客観的事実
・すべての文章には主張が必要だ
・文章を読むとき読者は必ず「この人はなにが言いたいのだろう?」と考えながら読んでいる。
・文章を書くとき、われわれは「結局なにが言いたいんだ?」という問に”ひと言”で答えられなければならない。
・自分が有益だと思った情報を伝えることで、他者の心を動かし、考えを動かし、ひいては行動まで動かす。
・文章を書くことは、他者を動かさんとする”力の行使”なのである。だとすれば、自分の”主張”を明らかにするのも当然のことだろう。
・自分の文章の中に”主張” ”理由” ”事実”の3つがあるか、そしてその3つはしっかりと連動しているか、いつも意識するようにしよう。
・頭のなかをうごめいている「ぐるぐる」は、可視化することによってようやく客観視できるのである。
・図解するメリットは、「流れ」と「つながり」が明確になること
・対象となるキーワードを書出し、マルや四角で囲んで、矢印でつなげていく。
・ポイントは随所に「なぜか?」を入れていくことだ。
・「序論2:本論6:結論2」の割合が無難
第3講 読者の「椅子」に座る
・われわれは「お客さん」を、すなわち「読者」をイメージしながら文章を書いているだろうか?
読者をイメージするだけでなく「読者の椅子」に座っているだろうか?
・われわれが本当の意味でその「椅子」に座れる読者は、世の中に2人しかいないと思っている。
①10年前の自分 ②特定の”あの人”
・「多数派の罠」:じつは「多数派」を対象とするよりも「少数派」に狙いを定めたほうが、誌面づくりはスムーズに運ぶのである。
・たとえば、対象読者が20代の社会人だとしたら、そのなかに「特定のひとり」を探し出す。できるなら直接の知り合いを想定したほうが書きやすいが、それが無理な場合は自分のなかで格納キャラクターを設定する。
「東京の/中堅医療機器メーカーに務める/営業職の男性/27歳/年収400万円/地方の私大出身で/地下鉄通勤の一人暮らし/彼女あり」といったぐあい
→言葉のベクトルがはっきりするため、「その他の人々」にも届きやすくなるからだ。
・むしろ”みんな”から喜ばれようとするほど、誰からも喜ばれない文章になるのだ。
・椅子に座る「たったひとりの誰か」ではなく、自分でもなく、もうひとりの読者を想定する。→早い話が「こんな文章で、うちのオカンは理解してくれるかな?」と考えるわけだ。★美湖
- 「生理的に嫌いな文章」に注目する
- 昔から「手当たり次第に本を読め!」といわれる。ここでの手当たり次第とは、単に読書量を増やせと言うことではない。手当たり次第に読むとは「好き嫌いに囚われず、あらゆるジャンルのあらゆる本を片っ端から嫁。それが文章を上達させる一番の近道だ」という意味である。
- 好き嫌いをはっきりさせることで、”書き手としての自分”が見えてくる。自分がどんな文章を書きたいと思っているのか、その傾向が明らかになる。
- 特に注目したいのが、”嫌い”の感情である
- 上から目線で偉そうに書いてある
- 読者に媚びるように、へりくだって書いてある
- 肝心のところで、自分の意見をぼかし、逃げている
- 一方的な決め付けが多くて納得出来ない
- 表現がまわりくどい
- →★知的複眼思考と同じ事をいっている。批判的に読む。正しいもの、正解として読まないこと。
- 「集中して書いたもの」がそのまま「集中して読んでもらえる」と思っているなら、それは大間違いだ。
- いかなる読み落としや誤読も、最終的には書き手の責任だ。情報とは、そこに書いてあればOKというわけではない。伝わるように書いてこそ、文章としての機能を果たすのだ。
- 読者を”説得”するのではなく”納得”させる、という手法
- 説得・・・押しのアプローチ(読者を押しきる)
- 納得・・・引きのアプローチ(読者に歩み寄ってもらう)
- 読者を「議論のテーブル」につかせることが必要
- その方法はあなただけの”仮説”を提示すること
- 文中の早い段階で、独自の”仮説”を提示する。一般論とは相反するような”仮説”だ。
- そして読者に「あなたはこの仮説をどう思うか?」と問いかけ、読者と一緒になって、その”仮説”が正しいかどうかの検証作業にあたる
- ビジネスで起承転結はトラブルメーカー
- ”転”は、ほんの少し配置転換してあげるだけで日常文でも大きな効果を発揮する
- 起”転”承結の例
- 起:いま全世界に温室効果ガスの削減問題が議論されている
- 転:しかし、地球温暖化現象は本当に温室効果ガスによるものなのか?
- 承:(その疑問を抱いた理由、客観的事実など)
- 結:よって、温室効果ガスの削減の議論はかなり根拠に乏しいものと考えられる
- 転の位置をかえることで、一般論が否定されることによって、「どんな議論が展開されるんだ?」と興味を惹くことが出きる。
- 冒頭に真逆の一般論を持ってくる
- 起:甘いモノはダイエットの大敵だと言われている
- 転:しかし、食べたくなったらケーキやドーナツを食べてもいい
- 承:(食べてもいい理由、客観的事実など)
- 結:我慢ばかりのダイエットは長続きしないのだ
- 文章の「起”転”承結」を成立させるためには、冒頭に「自らの主張と真逆の一般論」を持ってくる必要がある
- あらゆる文章において、読者とは”素人”なのである。だから、読者と一緒に「寄り道」をしよう
- いまのあなたにとっては「無駄な回り道」としか思えない試行錯誤の道も、”素人”である読者にとっては大切な確認・検証の作業であり、楽しいステップなのである。そして何度も言うように、読者は”説得”されたいのではない。自らの頭で”納得”したいのだ。
- →読者とともに、文章のなかでもう一度「無駄な回り道」を歩くのだ
- 自分の文章に自分でツッコミを入れる
- しっかりとした”主張”には反論がでるのは当たり前だし、反論に答えることは、読者との有意義な”対話”なのである。
- 文中にツッコミを入れていくことは、読者に対する「優しさ」のようでありながら、同時に文章の「強さ」を高める作業でもあるのだ。
- 文章には”自分の頭でわかったこと”以外は書いてはいけない
- 文章とは”答え”を示すものではなく、その”解き方”を示すものなのだ。読者にゴール地点を見せるのが目的ではなく、「ゴールまでの道のり」を示すことが文章の役割なのだ。
- 仮に取材で100の話を聞いたとしても、自分の理解が60で止まっていたら、原稿には60までのことしか書けない。
- 答えだけを求め、自分で解くことをサボった文章には、必ずほころびが出る
- 我々がノンフィクションの本に求めているのは「目からウロコが落ちる」ような体験だけではない。ビジネス書や教養書、またそれに類する雑誌やブログの場合、おそらく読者は次の3要素を求めている。
- 目からウロコ・・・「おおっ!!」「ええーっ!!」
- 背中を後押し・・・「そうそう」「よしよし」
- 情報収集・・・「ふむふむ」「なるほど」
- ある場面では「ええーっ!!」と驚き、別の場面では「そうそう」と頷き、またある場面では「なるほど」とメモを取りたいのだ。
- 大胆不敵な”主張”は「ええーっ!!」と驚いてもらうのに適した話しだし、”理由”を語る場面では「そうそう」と頷いてもらいやすい。そして”事実”として紹介する各種の情報は、読者が「なるほど」とメモを取るのにピッタリだろう。
- 頷き(そうそう)やメモ(なるほど)も、読書に欠かせない醍醐味であり、文章を構成する大切な要素なのである。
第4講 原稿に「ハサミ」を入れる
- ハサミを使った”編集”こそが、推敲の基本なのである。
- 推敲作業全編を”推敲”とは呼ばず、”編集”という名前で呼びたい。
- 文章の入り口には”元ネタの編集”という作業がある
- 素材も題材も探す必要はない。問題は「なにを書くか?」ではなく、「なにを書かないか?」なのだ
- 「なにを書かないか?」の検討例
- 部活の日々を語らずして、高校生活を語ることができるのだろうか
- 高校生活の思い出は、文化祭を抜きに考えられるだろうか
- 体育祭と文化祭、どちらが印象深いイベントだっただろうか
- あの恩師が居なかったら、高校生活はどうなっていただろうか
- 網羅的に書かれた”足し算”の作文とは違い、読者にも「あなた」という人間が伝わりやすくなるはずだ。
- こうして物事を”引き算”で考える作業は、最終的に「自分にとって大切なものはなにか?」「自分はどういう人間で、どんな価値観を持って生きてきたのか」を考えることにつながっていく。
- 野菜ジュースとオレンジジュースのメタファー
- 頭の中の可視化(文章の作り方)
- 頭の中の”ぐるぐる”を紙に書き出す
- 書きだした10個のキーワードの傾向を把握する(例:TV番組内容が中心)
- 書きだしたキーワードの傾向以外のことで、もう10個のキーワードを列挙する
- →”ある傾向をもつキーワード”と”それ以外のキーワード”の両方を出し尽くしたとき、ようやく”元ネタ”が揃ったことになる。
- つらつらと書き出しただけのキーワードでは、内容に偏りが出てしまい、文章の”伸びしろ”がなくなってしまうのだ。
- ここで大切なのは「自分を疑う力」
- 思いつくまま書こうとする自分を「それで面白い文章が書けるか?」と疑う
- 頭のなかで整理しようとする自分を「紙に書きださなくても大丈夫か?」と疑う
- 紙に書きだしたキーワードを眺めて「本当にこれが全てか?」と疑う
- →そうやって自分に何重もの疑いの網をかけていくことで、ようやく書くべきことが見えてくる。見てなかったものが見えてくる。
- 天からすばらしいアイデアが降ってくることもないし、突如として文章の達人になることもない。自分の中にある”元ネタ”を根気強く取り出し、峻別していくしかない。どんなに文章が得意でも、自分の力を過信してはいけないのである。
- 自分に酔うことなく、自分の力を過信することなく、いつも「疑う力」を忘れずに文章と向かい合うようにしよう。可視化の作業はその最たる例である。
- 下手な文章術より映画に学べ
- 映画には無駄なカットは1秒たりとも存在しないし、監督は全てのカットに関して「なぜこのカットがここに入るのか」、雄弁に語ることができるはずだ。
- 文章を書く上においても「なぜここにこの1文が入るのか」、あるいは「なぜここにこの1文が入らないのか」をしっかりと説明できる自分であらねばならない、と思うようになった
- 面白くない文章とは、なによりも冗長なのだ
- 余計なカットが多すぎて、削るべき1文・一節を「情」を理由に削りきれていない
- 読者にとって冗長な文章ほどつまらないものはないだろう
- 「もったいない」のサンクコスト
- 推敲とは何か?
- 「過去の自分との対話」
- 「一時間前の自分」と膝を交えて語り合う行為
- お前どうしてこんな意味不明なこと書いたんだ?
- なかなか面白いこと言うじゃないか
- さすがにこれは論が飛躍しているよ
- 推敲するにあたって最大の禁句は「もったいない」である
- 読者は、あなたの「がんばり」や「悩んだ量」を評価するのではない。あくまでも文章の面白さ、読みやすさ、そして書かれた内容について評価を下す
- 図に書き起こすことができるか? 映像は思い浮かぶか?
- 論理の重要性
- 面倒くさい部分の大切さ
- 推敲ではこの両者についての確認が必要
- 自分の文章は、どれだけ論理的に書かれているのか。また、どれだけ細部を描写できているのか。
- 簡単なチェック法
- 論理のチェック
- この文章を、図に描き起こすことはできるか?
- 論理的に書かれた文章であれば、その主張や論理展開をシンプルな図に描き起こすことができる
- 支離滅裂な文章だとうまく図にすることができない。矢印が繋がらなかったり、順番がおかしかったり、論の展開に必要な要素が欠けていたりする。
- 図解とは、書く前だけでなく、書いたあとにも使えるツールなのである
- この文章をよんで、”映像”が思い浮かぶか
- ダメな文章を読んでいて、もっともつらいのは「文字だけを追わされること」である。
- たとえば、旅行の話をブログに書くとする。読者はあなたと一緒に温泉に入りたいのだし、和牛ステーキを食べたいのだ。
- どうすればいいか? → ”細部”の描写である
- 温泉宿は箱根のどこにあって、どんな外観なのか。
- 広さはどれくらいか、貸切なのか、ほかのお客さんもいたのか。
- 温泉の色や温度、そして匂いはどうだったのか。
- 足を伸ばして入ったのか、歌でも歌ったのか。
- 露天風呂からどんな風景が見えたのか、月のひとつでも見えていたのか
- こうした”面倒な細部”を描写することで、ようやく映像が浮かんでくるのだ。読者はちゃんと”体感”できている。
- 行き詰まったら
- 文章を最初から読み返す
- 文章を別のワープロソフトにコピー&ペーストする
- 文章のフォントを変更する
- 縦書き・横書きを変更する
- →視覚的にまったく別角度から眺められるようになり、自分の文章に対してかなり新鮮かつ客観的に向き合うことができる
- 家族に一度読んでもらい、率直な感想を聞かせてもらう
- 自らの才能を問う人は”諦めの材料”を探しているだけだ。もっと言えば夢を諦める”言い訳”を探しているのだ。なぜなら、本当の”天才”は「自分に才能はあるのか?」などと考えない。あなたが本当に”天賦の才”をもっているのなら、自らの才能など1ミリも疑うことなく、ひたすら前に進んでいるはずだ。
- →いい文章を書くのに、文才など全く必要ない!
- 「いい文章」とは「読者の心を動かし、その行動までも動かすような文章」のことである
- 自分が何を書き、なぜそう書いたのか、論理の言葉で説明できるライターでありたいと思っている